勉強とは、理解と定着だ。
まず何を通したとしても、目の前の情報を「理解」しなければ前には進めない。
よく「うちの子は理解力がない」という声を聞くが、
じゃあこの「理解」について、ちょっと考えてみたい。
「理解力がある」「理解力がない」
とはどういうことなのか。
例えば
「畑の中を必死で走っていたら、畝に足を取られてつんのめった」
という文。
この一文を完全に理解するために何が必要か。
ひらがなは全部知っているという前提で話を進めよう。
①漢字が読めるか
上の文の漢字を全て○に置き換える。つまりどれも読めないとする、ということだ。
「○の○を○○で○っていたら、○に○を○られてつんのめった」
当然、何も分からない。
だからまず、漢字が読めないと理解の入り口にも立てずに挫折。
②言葉の意味が分かるか
漢字が読めたとしても、そもそもその言葉の意味が分かるかどうか。
おそらくここが最大の山場だろうか。
畑
中
必死で
走る
いたら
畝
足を取られる
つんのめる
どうだろうか。
この中の「畝」なんていうのは、なかなかに奥が深いよね?
畝とは…
作物を植えつけたり種をまいたりするため、畑の土を幾筋も平行に盛り上げた所。
とある。
ほら、ここにもまた
作物
植えつける
種
幾筋も(いくすじも)
平行に
盛り上げる
こんな語彙に溢れているよね。
でも、この意味を全部知ったとしても、まだ足りないものがあるよね。
それがこれだ
映像の記憶ね。
見た瞬間に、「あー!これね!」となる感覚。
実際にその目で見たり、歩いたりした体験。
こういうものが語彙とセットになった時に
全てが「バチっ」とハマり、理解したとなる。
ん?
でもまだだよね。
この畝に足を取られてつんのめるってことは
…
③文をしっかりと映像として想像できるか
最後に大事なことだよね。もちろん読みながら同時にやる必要があるよ。
「この畑の中をどういう方向で走ったんだろう…」
という想像。
つまり、
こんな方向で走ったってことが
映像とともに頭の中に広がるかどうか。
どうだろう。
ここまでが「理解」ってことじゃない?
「うちの子は理解力がない」
というのはおそらく、そこに至るまでのどこかに「知らないこと」があるはずなんだ。
そこをすっ飛ばして、つまり
「○○はしっかり○○したの?」
って聞いてもさ
そりゃ理解もクソもないよね。
まずはそこをしっかりと見つめてあげてほしいんだ。