同じ犬。
「うち、犬飼ってるよ」
という同じ括りに入る。
トイプードル
繰り返すが、同じ「犬」である。
さあ、トイプードル達よ
君たちはこれから「ある競争」をしてもらう。
相手はドーベルマン達。
種目は5つ。
①走るスピード
②身体の大きさ
③食べる量
④声の大きさ
⑤可愛さ
これで君達は序列化され、それぞれが次のステージに進むんだ。
さあ、頑張れ!
さて、何が言いたいか。
もちろんこれは「我が子」のことである。
学校というところは、それこそ100人いたら100種類の犬がいるのと同じ。
みんなそれぞれ能力も容姿も考えも育った家庭も
何もかもが違う。
それを「共通の種目」で測られ、競うのだ。
そりゃトップ集団にはドーベルマンが並ぶよ。
我が子がドーベルマンならその頂点を目指せばいいさ。
でも、どう見ても我が子がトイプードルだとしたら?
愛くるしいトイプードルに、「ドーベルマンに勝ってこい!」「勝つまで帰ってくるな!」と言って家の外に放り出してもね
そりゃ無理よ。
でもさ、じゃあトイプードルはダメなのか?
価値がないのか?
負けなのか?
そんなわけないじゃん。
トイプードルは、家族に危険が及びそうになったら
その愛くるしい小さい体を盾にして、家族を守るために歯を剥き出しにするよ?
大事なご主人様に近寄るな!
って思いながら。
家族が病気で寝込んでたら、心配そうな顔してずっと横で添い寝するよ?
「大丈夫?」
って不安そうな顔をして。
そんなトイプードルは世界で大人気だ。
そりゃドーベルマンには負けるところはたくさんあるよ。
でも、輝いてるトイプードルはたくさんいるよね?
トイプードル界の頂点は
ドーベルマン界の頂点と
どっちが凄いの?
結局、そういうことだよね。
我が子は我が子。
我が子界の頂点になれば
それはよその子界の頂点と
何が違う?
何も違いはないんだよ。
だこらこそ、我が子をよーく観察。
我が子はドーベルマンなのか
トイプードルなのか
はたまたイタリアングレーハウンド?
もしかしたら柴犬?
ほら、観察すると見えてくるものはたくさんあるはずなんだ。
その観察はね
まずは親がやるべきもの。
そして成長してきたら
今度は自分で自分を観察。
そうやって、あなたの子供は必ず輝いていく。
君は輝いていくんだよ。
ドーベルマンの頂点へ
トイプードルの頂点へ
イタグレの頂点へ
柴犬の頂点へ
諦めなくていいんだよ。