自分語りにも近いか。
親は、頭では理解している。
自分も社会の一員であり、
使える者
使えない者
有能な者
無能な者
いくらでも見てきたのだから。
結局、自分で能動的にテキパキとやれる者だけが上に行き、必要とされ、重宝される。
そして結果を出し、得るべきものを得る。
そんな現実
頭では分かってるんだ。
だから我が子にも、しっかりと伝えなければならないことがある。
それは
「あなた自身の気持ちと行動で辿り着けたところがあなたのいるべき位置だ」
と。
しかし、そこで「親」という生き物の厄介な部分が顔を出す。
我が子には一段でも上に行ってもらいたい
この気持ちだ。
そしてその気持ちに気づいたかのように
「私ならあなたの子供を一段、いや二段上に引き上げられますよ。その仕組みもノウハウも持ってます。現に今いる生徒で…」
と、甘く熱くささやいてくる人たちがいる。
だからついつい、その言葉に乗ってしまう。
でも、その人達はあなたの子供に言うんだ。
「やれと言われたことを、自分でやらないと伸びないよ」
って。
結局はそれ。
誰が何をどう準備し、お膳立てしても
子供自身が能動的にやらないと1ミリも伸びない。
親なる生き物
今日も理想と現実の狭間で揺れ動く。
そして
親の心、子知らず
もう何年も何十年も何百年も何千年も
繰り返すのが親子の歴史
親なる生き物、なのである。