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川越にある松江塾!代表真島による何でもブログ!

僕は竹刀を買ったことがない

 

ふと夢に出てきたので、当時所属していた剣友会の名前を検索してみたら…

 

 

 

まだしっかり活動してたんだね♫

 

良かった。

 

 

僕は中学受験が本格化する小5まで週2回、この剣友会に通って稽古をしていた。

 

真島

上倉

久慈

 

この3人の名前は、あの当時市内で剣道をやっている子達やその親で知らない人はいなかったはずだ。

 

大会という大会で負け知らずで、

 

団体戦では

 

先鋒 真島

次鋒 上倉

中堅 久慈弟

副将 誰か

大将 久慈兄

 

こんな感じに固定されていて、最初の3人で勝負は決まってしまっていたからね。

 

 

この久慈兄弟の強さと言ったら、もうそれはそれは…

 

剣友会の中での大会で、僕がこの久慈兄弟に勝ったことは一度もなかったように記憶している。

 

なおくん(上倉)には何回か勝ったことがあったかなー、なかったかなー…

 

 

そんな剣友会内部の熱い戦いと練習の成果か、外の大会ではこれ以上心強い仲間はいなかった。

 

大会に赴けば、よくスポーツ漫画であるような強豪校の登場シーンのように

 

「おい…、見ろよ、あの3人が来たよ」

 

みたいな声と視線。

 

今考えればそれば間違いなく久慈兄弟、特に弟に向けられたものだったはずだが笑

 

まあ、それでも先鋒の僕1人で相手の副将まで勝つこともあり、団体戦では優勝以外の記憶がない。

 

当時、大会で優勝すると決まって「竹刀」を商品としてもらうことができた。

 

竹刀の長さは

 

小学生用の「さぶろく」、つまり36

 

中学生用の「さぶなな」、つまり37

 

あたりが貰えた。

 

しかし僕は小学校卒業時で身長が138センチしかなく、小5の時はさらにミニマムだったため、

 

「さぶよん」、つまり34にカスタマイズして使っていたような…。

 

当時は大会の数も多く、家にはもらった竹刀のストックが大量にあり、

 

僕は竹刀を買った記憶がほとんどない。

 

その辺りは親孝行だったように思う♫