僕は授業内でテキストを使わない
いや、
ほぼ使わない
理由の一つは、前から書いているように
「知らない英単語に気を取られて欲しくないから」
である。
例えば中1が不定詞を学んでいて、
ざっくり理解した後でテキストの問題に取り組むと
I want to solve it.
なんて文が出てくる。
まだ「solve」を知らない段階で、だ。
全てを把握している大人が見たら
主語(〜は)が「I」で、「私は」
動詞(〜する)は「want」で「望む」
そのあとは目的語(〜を)で、そこに不定詞があるから「solveすることを望む」ってなるだろう。 あとはsolveの意味さえ調べるなり、聞いてしまえばOK、と。
しかし、初学の子達はそうは考えないよね。
一気に思考が飛ぶんだよ…
「この文は無理…」
ってところまでね。
そうなると、せっかく理解できそうだった不定詞自体も
無理…
だと思ってしまう。
子供は一度「できない」って思ったら、そこから抜け出させるのは本当に大変なんだよ。
例えばサッカースクールで、初めてドリブルシュートを教えてもらった子を想像してみてよ。
ドリブルしながらゴールに向かい、最後に前を転がっていくボールに向かって速度を上げて走りより、足を合わせて一気にシュート!
「よしっ!上手い!ナイスシュート!!」
そんな声をかけられてご満悦な子に向かって、
「じゃあ、ここから反復練習するよ!」
って言って指示した練習に、本気で向かってくるようなディフェンスがいたらどう?
ドリブルしてる段階でボールを取られ…
シュート体勢に入りたいのに身体を当てられ…
ドリブルシュートの練習にならないよね?
まずはディフェンスのいない状況でのびのびとドリブルシュートを繰り返し、
その速度やボールの置き所、いろんな方向からのシュート
そういうものを身体に刻むことの方が大切だよね?
指導側、特にテキストを作る側からすればさ
とにかく内容を充実させたいんだよね
あれもこれも詰め込みたいんだよ。
でも、その意図が結果的に子供達が本来その時に学ぶべきことの輪郭をぼやかしちゃうんだよね。
その子が本当にその「核」に自信を持ち、「よし!分かった!できる!簡単だ!!」と思えるまでは
そうなるために不要な要素は全て削除!!!
こういうことができるのは、塾だけだと思うよ。