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川越にある松江塾!代表真島による何でもブログ!

「できない大人なんていない」という考え方

 

勉強をがっつり鍛えている親子を見て

 

冷ややかな目をしてこういう人がいる。

 

「なんか、可哀想じゃない?あんなに詰め込まなくても、いずれ大人になればできるんだしさ。今はたくさん遊ばせたりしたほうがいいし、あんなにやらせたら勉強が嫌いになるよね。その方がダメなんじゃない?」

 

 

なんだろか

 

生まれたての新生児に歩行ギプスをつけて

 

無理やり歩かせようとしているように感じるのだろうか。

 

それならば「いずれできるようになるんだからさ」、と言うのも理解できる。

 

しかし

 

特に「読み・書き・そろばん」に関しては

 

絶対に早期にできるようになっていた方がよい!と断言したい。

 

家から一歩も出さず、テストもなく、家庭を教育の主体として大人になるまでにその子のペースで習得させるというのなら

 

それは「早期」でなくても良い。

 

しかし

 

子供たちは

 

幼稚園

保育園

小学校

 

 

に通い、周りの子供達に囲まれて一日の大半を過ごす。

 

子供は必ず「他の子」を興味の対象として見る。

 

そして、何か面白そうなことをやっている子がいれば惹きつけられ、

 

自分もやってみたいと思うものだ。

 

好奇心の塊だからね。

 

真新しいもの

自分と違うもの

 

もう、どうしたって子供は注目してしまうのだ。

 

それは、小学校に入り

 

教科書を声に出して読む

文字を書く

計算をする

 

 

そういったことを学ぶ授業中でも変わらない。

 

 

できる子

できない子

 

 

悪気があるわけじゃなく、子供は「注目」してしまうのだ。

 

 

見えてしまう

分かってしまう

注目してしまう

 

 

 

例えば音読

 

スラスラと読める子のあとで、たどたどしくしか読めない子がいたら

 

それはみんなが「注目」してしまう。

 

中には笑ってしまう子だっているだろう。

 

その時に先生は必ず同じことを言う。

 

「笑っちゃダメですよ。」

 

でも、子供は子供だ。

 

笑っちゃうんだよ。

 

悪気もなく、ね。

 

 

その時、

 

出来なくて笑われた子の気持ち

 

想像できるだろうか。

 

 

恥ずかしい

困る

嫌だ

 

子供ながらに、これのどれかに似たような気持ちになるのではないか。

 

 

みんなの前で声に出して読む

みんなの前に自分の字が張り出される

計算の答えを発表させられる

 

 

そういう機会は、親が思っているよりも多いのだ。

 

確かに、いずれ文字は覚えるし、計算だってできるようにはなる。

 

しかし

 

大人は忘れているんだ。

 

 

「すでにできる子達が何人もいる教室という空間で知らず知らずのうちに植え付けられる劣等感」

 

というものが、子供にとってどれだけキツいことか。

 

 

誰だって出来なくて恥ずかしい思いや嫌な思いをしたら

 

次からはやりたくないって思うよね。

 

 

「それを乗り越えていくことが大事だ!」

 

って言うのも分かるけどさ

 

子供にとっては教室が「日常」だからね。

 

 

その日常の中で、いつも「くそ!」「乗り越えてやる!」なんて思いを持てる子は少ないんだよ。

 

っていうか、無理だよね。

 

 

すでにできる子は、どんどん自信をつけてますます出来るようになり

 

できない子は、どんどん自信を失ってますますできなくなる。

 

 

これが小学校低学年から確実に始まってるからね。

 

 

音読を聴いていると、小1にしてすでにかなり差があるから。

 

親が毎日忙しいのは理解できる。

 

しかし

 

可愛い我が子のためである。

 

読み

書き

そろばん

 

 

「そのうちできる」ではなく

 

 

「人より早くできるようになって自信をつけさせたもん勝ち」

 

ということを頭に入れておいてほしい。