僕「ねえ、当時何で自分が教育ママだってことを周りにバレないようにしたの?」
奥様「ゲラおが可哀想って言われるからだよ」
僕「何で可哀想?」
奥様「多分だけど、みんな勉強ってものをネガに捉えてるでしょ?遊ぶ時間削ってネガな勉強をさせることが可哀想に見えるんじゃない?」
僕「でも、勉強できるってことはポジなことなんじゃないの?」
奥様「なんかさ、やり過ぎて子供がおかしくなるケースもあるでしょ?多分そのイメージに引っ張られてるんだと思う」
これは今日、教育ママ論①を書いた直後の僕と奥様のリアルな会話。
なるほどねーって感じだよね。
ママ達は「良きママでありたい」っていう思いで、子育てをスタートさせる。
子供には「ありったけの愛と笑顔、優しさを与えたい」って思うんだろう。
そのホワホワ、フワフワ、きゅるるーんってしたイメージが
「子育ての柱」になるんだね。
だから、
子供が笑顔になれるように
子供が楽しい!って思うように
そして、自分も笑顔でい続けられるように。
その思いが強ければ強いほど
「ほら、もうやらなきゃいけないことがあるでしょーー!」
って言って、子供の手を引いて公園から帰っていくママ友を見たら
「なんか可哀想だよね。あの子、変にねじ曲がっちゃうかもよ」
なんて言って、教育ママに冷たい視線を向ける。
教育ママ達は、
その目線を無視して突き進むか
自分の考えを隠して迎合したフリをするか。
そのどちらかの道を歩む。
どっちが多いんだろう。
前にも書いたが
資源もない日本だ。
「教育」こそ国の礎であり
「教養」に満ち溢れた人々が国の財産であるべきだと思うよ。
だからこそ
教育ママが肩身の狭い思いをすることのない日本になればいい。